彼氏との行為で😭

そういえば。

5年付き合っている彼氏と事をしていて、

初めてフラッシュバックが起きました。

彼氏としているのに、あの時の感覚になって

泣きながらしました😭

 

これまで、彼氏とは1週間に1.2回ほどしていました。私が生理でタイミングが合わない時は2週間に1回になります。これでうまくやってきていました。

ただ今回は、彼氏がインフルにかかり、生理ではないのに2週間しなかったんです。

 

彼氏は久々で楽しみ、だから気持ちよく出させてあげなきゃという義務感で事を始めました。

自分もノリノリな時ももちろんありますが、義務感からはじまる時もあります。(周りのカップルさんもそうじゃないですか…❓笑)

義務で始まっても、途中でのってきたり、ぬれるといい感じになってきて〜というのでうまくやってきていたんです。今回もそうだと思っていました。

 

色々なところを触られたりキスをされたり、そういった行為全部に〝うっ〟とよぎりました。

胸、頭、腰など、どこを触られる度にもあの時の体験がよぎるんです。まるで今そうかのように。

もう触られているのも黙って待っていられなくて、早く本体笑を入れてもらおうとしたんです。入れようとしても当然乾き切っていますが。もう一秒でも早く終わりにしてほしくて、〝はやくいれて〟といいます。濡れてもいないのに出し入れされるのは地獄です。痛くて、でも気持ちのいいようなふりをしなくてはいけなくて、〝あ、これあの時と同じだ〟と思ってしまいました。大好きな人との事なのに、なんでこんな事を考えなくちゃならないのか絶望しました。虐待がなかったならば、つらいセックスなんてしなくてすんだのに。

 

最後まで気持ち良かったふりをしました。私の目的は彼氏が久々だから気持ちよくしてあげようで、それを達成したかったからです。なんでこんな辛い思いをしなくちゃいけないのか。涙も鼻水も止まりませんでした。

彼氏は心配してくれましたが、私は冷静ではなく素直になれず、別にいい。話したくない。と言ってしまいましたが、抱きしめて眠ってくれました。

 

翌日、チベットスナギツネのように腫れぼったい目をした私と彼は仲直り❓をしましたが、あれ以来まだ一度もセックスをしていません。フラッシュバックが起きていたことも伝えていません。

次にする時はフラッシュバックしないといいなあ…💭😞

はじめてのトリガー

職場で松本人志の性加害が話題になりました。

周りの人達は、普通わかるよね〜察するよね〜とか、お礼のLINE送ってたらしいよね〜とか。

はじめは、迎合したくなくて。

えー、でもこうなんじゃないですか〜?とかささやかな抵抗。

でも、やっぱり女性側のふるまいがおかしい、なんで8年後にわざわざ、警察でもなく文春に?という流れになり。

たしかにそうですよねえ、と。

合わせるほかありませんでした。

 

雪がひどかったので、落ち着いて運転して自宅に帰り布団に入っても胸がざわついて涙が出そうになるんです

心も体もしんどくないはずなのにおかしい。

漫画を読んで気を紛らわせようとします。ほのぼのした恋愛漫画を読んで、尊いと思う気持ちと、どうしようもない悲しみが同居していて。

 

これはやっぱりおかしい。初めての体験です。

今まで生きてきて、何気ない遠いところの性加害の話題でこんなふうになったことはなかったんです。私は約13年前のことなので、本当になんで今更と。自分でも得体の知れない不安感でいっぱいです。

性虐待を受けた私だから、もう性虐待を受けなかった私は存在し得なくて、それも背負って私なわけで…

これから何十年も背負い続けて生きていかなければならないんだと思うと、脳裏にナイフで皮膚を切る情景も浮かびます。こんなこと考えたくないのに。

 

性加害を肯定する側につくということは構図的に言えば単純に過去の自分を傷つけた側に回るということと同義です。今日は性加害を肯定する側に迎合してしまったので自分で自分を傷つけてしまったのかなあと感じます。文で、言葉で表していくと、私はこう思っていたんだ、と自分を肯定できます。

少しだけ辛い気持ちがおさまってきました。よかった。ただ、今日初めてトリガーが日常生活だったので、今後が不安です😢

私には、なんでも相談できる人が1人だけいます。

しかし、性的虐待の話だけはできません。

この話をすると、その人は本当に悲しそうにするし、

時には共に怒ってくれるのですが、

ぶつけるやり場のない怒りが苦しそうで。

しばらく話すのをやめたら、

ふとあの時を思い出しても相談できなくなってしまいました。

 

悩み事

普段は仕事で忙しいのですが、

時間ができると、本を読みます。

最近では、矢川冬さんの本や、カウンセリングについての本を読みました。

 

今の悩みは、

性的虐待って本当にあったんだっけ?🤔

ということです。

忘れたいんだけど、忘れたくないんです。

無かったことにしたいんだけど、無かったことにしたくないんです。

すごく矛盾していますね

 

1番辛かったのは、あの時の自分だから、

今の自分があるのは、あの時の自分がなんとかして、こらえてたえてくれていたから、

それを忘れたくないんです。

今思いつく理由はそんな感じです。

自分のためですね。

 

前は、こんな経験をしたからには、

こんな思いをする子どもたちを

減らせるように役立てなくちゃいけない!

それは自分にしかできない!

というような使命感を帯びている側面が強かったです。

今の自分には無理だけれど、将来的になんらかの形で性的虐待で苦しむ子どもを減らす活動に携わりたいという野望があります。

 

ただ、怖いのです。

いつか忘れてしまいそうで。

変な悩みですね。忘れたくても忘れられない人がいらっしゃるのに、とも思うのですが。

忘れてしまっては、

あの時の自分を誰が慰めてあげられるのか、

将来役立てたいときにどうすればよいのか。

自分で自分に「私はサバイバーだ」とレッテルを貼り続けていたいんです。

だって、これからも生存して、そしてサバイバルし続けていかなくちゃいけないんです。

 

大学で、サバイバーという言葉を知りましたが、その時は、私はサバイバーというより、被害者であるという意識があったように思います。

あの時にこれをされた、あれもされた、あんなこともあった、だから私は悪くない!被害者なんだ!と思えたからでしょうか。

自分の被害を客観的に明らかにすることで、「ああ、私はなんてことをされてしまったんだ」と改めて認識できたからこそ、被害者意識が強かったのだと思います。

 

社会人になり、死にたくなる頻度が減りました。死ぬ前に、やってみたいことが少しずつ膨らんできました。おいしいものもおいしいです。(今は調子が良いからこう書けるのだと思いますが笑)

私は生きて、そしてサバイバルし続けていくことを、実感しています。被害を認識できたからこそ、自分はサバイバーなのだと思うとしっくりくるのです。

 

一つだけ、挑戦しました。

かつて児童相談所に一度だけ母親と相談しに行ったのです。養父と私を離すため(安全のため)に、保護してもらえないかと母親が考えたのでした。

その時の、相談記録が残っていないかを

電話で問い合わせてみました。

私の記憶も定かではないし、

矢川さんの本を読んで、それがあったという

客観的証拠が必要になる時が来るかもしれないと思ったからです。

結果は、土曜日でやっていませんでした…

そうですよね、お役所仕事でしたね💦

月曜日、元気があったらまた問い合わせてみたいと思います。10年以上前なので、残っていないかもしれませんが…

 

読みづらい文章を最後まで読んでくださり、

ありがとうございました😊

自己紹介2

私は、性的虐待などを受けていた時の記憶がだいぶ曖昧になってしまっています。

そのため、時系列や事実が正しくない可能性があります。覚えている限り、正しく書けるよう頑張ります☺︎

 

4.5歳ころ(幼稚園のころ)

両親が離婚します。母と一個下の弟とアパートに住みます。

ねこのにゃんと共に育ちました。しまじろうやポケモンチップとデールをたくさん見ていました。

 

7歳(小学校1年生)

アパートから、バスで学校に通っていました。7組もある大きな学校でした。学校にもなれてきたころ、ある男性が時々遊びに来ます。

ともちゃんと呼んでいました。

年長の弟が寝た頃、薄暗いリビングで、

母親から

「もし学校が変わったら、どう思う?」

と言われたのをものすごく覚えています。

 

8歳(小学校2年生)

苗字も住んでいるところも変わり、

ともちゃんが新しいお父さんになりました。

 

9歳(小学校3年生)

新しく弟が産まれます。

おそらくこの頃から長時間に渡る説教、

暴言、暴力が始まりました。

一個下の弟に対しては私よりも凄まじい暴力がふるわれました。

そして父の単身赴任も始まります。不定期で休みが取れると帰ってきます。

 

11歳(小学5年生)

このころ、母は夜に働きに出ていました。

ある母のいない夜、父からいろいろなことをされ、

パンツを変えようと布団から出て着替えを取りに行った時、ちょうど母が帰ってきました。

真夜中に起きている娘に母は驚き、

何をしていたのか聞きます。

私は、この時ものすごく心臓がどきどきしていました。

「パンツを変えようと思って。なんかぬれちゃってたの。」

と言ったのです。母の顔は見れず、背中を向けてパンツを履き替えました。

母は何かに勘づいて、

もしかしてお父さんに何かされた?入れられた?ゴムはつけてた?

と小さな声で真剣に聞いてくれました。

私は「わからない、わからない」

と繰り返すしかありませんでした。

次の日の朝、母も父もリビングで私が起きてくるのを待っているのがわかり、ずっと寝たふりをしていました。

が、父に顔を蹴られ起こされました。

母は私を庇い、父のしたことの事実を確かめ、

私を児童相談所で保護してもらうという話になりました。

しかし結局、同居を続けざるを得なくなり、

別居することができたのは

私が13歳、中学生になってからです。

 

産みの父親と離婚したあたりから、

育ての父親、継父による虐待が収束するまで

です。

こうして整理してみると、

いつから性的虐待が始まったのか、

本当に思い出せないんだなぁと実感します。

2年生ごろからだった気もするし、

新しく弟が産まれたあたりだったかもしれません。

 

頭が疲れてきてしまったので、今日はここまで。

読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

自己紹介

はじめまして、

私のブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

私は、小学生の頃、父親から性的虐待を受けていました。

これが性的虐待と言うんだなあ、と

子供ながらに理解したつもりではいましたが、

高校、大学と成長していくごとに、

その事実は私を苦しめてきました。

また、大学では教育学や社会学を学びながら、

私が受けたこれはなんだったんだろう、

と疑問が浮かんでいました。

 

社会人になった今でも、

とりとめもなく頭に浮かんできます。

そのいろいろなことを言葉にして整理したい、

私と接点のない誰かに聞いてほしい、

似たような境遇の方と共感し合いたい、

性的虐待が思ったより身近にあることを知ってほしい、

そして、

今被害で苦しんでいる子がいたら、

何か力になりたい、性的虐待を減らしたい、

色んな思いで、綴っていきたいと思っています。

どうぞ、よろしくお願いします。