悩み事
普段は仕事で忙しいのですが、
時間ができると、本を読みます。
最近では、矢川冬さんの本や、カウンセリングについての本を読みました。
今の悩みは、
性的虐待って本当にあったんだっけ?🤔
ということです。
忘れたいんだけど、忘れたくないんです。
無かったことにしたいんだけど、無かったことにしたくないんです。
すごく矛盾していますね
1番辛かったのは、あの時の自分だから、
今の自分があるのは、あの時の自分がなんとかして、こらえてたえてくれていたから、
それを忘れたくないんです。
今思いつく理由はそんな感じです。
自分のためですね。
前は、こんな経験をしたからには、
こんな思いをする子どもたちを
減らせるように役立てなくちゃいけない!
それは自分にしかできない!
というような使命感を帯びている側面が強かったです。
今の自分には無理だけれど、将来的になんらかの形で性的虐待で苦しむ子どもを減らす活動に携わりたいという野望があります。
ただ、怖いのです。
いつか忘れてしまいそうで。
変な悩みですね。忘れたくても忘れられない人がいらっしゃるのに、とも思うのですが。
忘れてしまっては、
あの時の自分を誰が慰めてあげられるのか、
将来役立てたいときにどうすればよいのか。
自分で自分に「私はサバイバーだ」とレッテルを貼り続けていたいんです。
だって、これからも生存して、そしてサバイバルし続けていかなくちゃいけないんです。
大学で、サバイバーという言葉を知りましたが、その時は、私はサバイバーというより、被害者であるという意識があったように思います。
あの時にこれをされた、あれもされた、あんなこともあった、だから私は悪くない!被害者なんだ!と思えたからでしょうか。
自分の被害を客観的に明らかにすることで、「ああ、私はなんてことをされてしまったんだ」と改めて認識できたからこそ、被害者意識が強かったのだと思います。
社会人になり、死にたくなる頻度が減りました。死ぬ前に、やってみたいことが少しずつ膨らんできました。おいしいものもおいしいです。(今は調子が良いからこう書けるのだと思いますが笑)
私は生きて、そしてサバイバルし続けていくことを、実感しています。被害を認識できたからこそ、自分はサバイバーなのだと思うとしっくりくるのです。
一つだけ、挑戦しました。
かつて児童相談所に一度だけ母親と相談しに行ったのです。養父と私を離すため(安全のため)に、保護してもらえないかと母親が考えたのでした。
その時の、相談記録が残っていないかを
電話で問い合わせてみました。
私の記憶も定かではないし、
矢川さんの本を読んで、それがあったという
客観的証拠が必要になる時が来るかもしれないと思ったからです。
結果は、土曜日でやっていませんでした…
そうですよね、お役所仕事でしたね💦
月曜日、元気があったらまた問い合わせてみたいと思います。10年以上前なので、残っていないかもしれませんが…
読みづらい文章を最後まで読んでくださり、
ありがとうございました😊